続きを早く書かねば、って思ってたのに、相変わらず忙しくて~~
というか、まとまらなくて~(汗)
もう10月やん~
とはいえ、あれからまた観に行ってて。
封切り初日から二日後に、大阪まで行って。
悦子と二郎の衣装が展示されてるっていうからね!
で、それからイオンシネマがもう終わるというので行って、
で、ユナイテッドシネマ大津でやってる!と聞いてもう一回。
4回も・・・(どんだけ見るねん~~ 笑)
二郎の写真のところに洸平くんのサイン~~
毎回確かめたいことがあるし、何度観ても、余韻のある映画なんですよね。
そもそもは二郎に会いたくてこの映画を観に行ったので、今回は二郎目線で書いておきます(笑)
興味のない方は、スルーしてくださいね。
洸平くんがこの映画に出演するという発表があったのは今年の4月。
そこから原作を読んだんやけど、ここに書かれている二郎を洸平くんがどう演じるんやろうと思いましたね。
原作の二郎は、悦子の語りで書かれていることもあり(のちに別れるのは確かなので)悪い人ではないにしろ、嫌なヤツです(苦笑)
いつも難しい顔をしてて、小柄でずんぐり、身なりにうるさくて家でもワイシャツにネクタイを締めていた、とか、そして、前かがみでご飯を食べる、とか。
何より、厄介な問題があった時にいつも調子のいいことを言って問題から逃げていく人、って・・・
こんな人やなかったら、「私は長崎を離れなかったかもしれない」、なんて語ってるんですよね。
想像するだけで、カッコ良い夫ではないです。
・・・なのに、この二郎を洸平くんが?? って思いますやん(苦笑)
二郎の父の緒方さんには好意的なんですよ。
(悦子は、二郎のことは呼び捨てなのに緒方さんは「さん付け」やし!)
原作では、二郎が戦争に行ってたかどうかも語られてないし、なぜ、別れることになったかという理由も書かれてません。
ただ、悦子が再婚したイギリス人の夫は、二郎のことを良くは思ってないらしい。
悦子は、二郎を懐かしむ気持ちはないが、それでも、夫が思うほど愚かな人ではなかったと言います。
二郎は家族のために一生懸命働き、(悦子にもそれを求めたようですが!)彼なりに誠実な夫だったし、娘の景子にも良い父親だった、と語ってます。
ま、記憶というものは自分にええように変化するんで、どこまで本当のことなのかはわかりません。
洸平くんをキャスティングしたことについて、石川監督は、「昭和感があって色気のある人」とおっしゃてて、それはまさしくその通りやなと思いますよね。
で、その通り、ちょっとクセのある昭和の男ながら、でも色気があってカッコ良い二郎になってました!
映画の二郎は、原作よりも詳細に、深みのある二郎に描かれています。
石川監督がインタビューでおっしゃってましたが、あの年代なら(1952年に30代)戦争に行ってきただろうし、戦場でひどい目にあってきたただろうし、復員して故郷、長崎の惨状を見てさらに傷ついているだろうと。
それだけに抱えてる憂いが二郎にはあるはずだと。
(憂いのある演技はピカイチですからね~ 笑)
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戦争に行って右手の指を亡くした傷病軍人という設定もやけど、悦子との会話が多いのも映画ならではの二郎ですね。
最初の朝ごはんのシーンもしかり。
悦子のお腹をさわって「キミだけの体じゃなかとやけん」と言ったり、
「キミが城山で被爆せんかったのは良かったと思うとるばい」という台詞とか、原作にはないけど、微笑ましく円満な夫婦に見えます。
父親のことを「僕はお父さんと過ごしとうなかよ」「出征の時のあん人の誇らしげな万歳三唱が忘れられんとさ」というのも、軍国主義の教育者だった父への反発が感じられるけど、原作の二郎は悦子にそういう話をすることはない人なんですね。
父親への反発はあるようです。それでも父の話には調子よく合わせるんやけど。
結婚して親と同居するのは、当時はまだ当たり前のような時代。そやのに、相談もなく父親との同居を避けて団地暮らしを選んでるんですね。
二郎を演じる洸平くんを応援するものとしては(笑)、原作にある、あの同僚が来た日の翌日の、緒方さんと二郎の将棋盤を巡るやりとりで二郎が急須をひっくり返してしまうシーンがあるんやけど、あの部分が削除されてたのは、ちょっとほっとした感じです。ちょっと嫌な二郎ですもんね。
とはいえ、悦子を「おいっ」って呼んだり(うちの大正生まれの父もそうやった~)、「行ってきます」も言わずに出勤したり、妊婦の前でタバコを吸ったり、父親が来てるのに寝室で悦子に迫ったり、というのも原作にはないけど、こういう二郎の行動が昭和の男を表してるなとも思います。
でも、二郎は右手の指が欠損しているので、ネクタイは悦子が結ぶし、靴紐も悦子に結んでもらってる。(もちろん原作にはない設定ですが)
昭和の男らしく?偉そうにしてるのに、妻の手を借りないと何もできないことも、映画ならではの表現で、複雑な二郎を描いているなと思います。
悦子に「・・キミにももう少し母親らしく振る舞ってもらいたかよ」と言ったら、
「母親らしく振る舞うって何?今までやってきたいろんなことばあきらめるってこと?私は子どもを言い訳にしたりはせんけん」とうつむいたまま話す悦子に、えっ?と、二郎は困惑します。
でもそれを追求することなく仕事に出る。
「被爆してなかったら結婚しなかった?」と悦子に聞かれた時も、困惑して、きちんと答えないところとかは、原作の二郎の「厄介な問題から逃げている」ところを、映画ならではの表現で描いてますね。
・・・ちょっと残念なのが、うどん屋の藤原さんのことがすっぽり削除されてるところかな。
藤原さんがご主人を戦争で亡くして、うどん屋をしていることを養父の緒方さんが「可哀そうに」とかいうんやけど、藤原さんのご主人は「偉い人」でそこそこの家やったらしい。なのに、戦争で夫を亡くして”落ちぶれて”うどん屋をしていると、緒方さんは思うのね。
家父長制とか男尊女卑の考えが沁みついた緒方さんがちらっと見えるところです。
二郎の同僚がやってきて選挙に行った話をするくだりも削除されてました。
夫婦なのに別の政党を投票したことが考えられないって緒方さんがいうてたところ。
こういう部分を削除しながらも、緒方さんという人を表すのに、教え子の松田重男とのシーンにそれらを集約したって感じもありますね。
あの、「日本は原爆に負けたんだよ!」という強い台詞は印象的です。
原作で、長男の婚約者を(原爆で?)亡くしたことで、息子の将来を案じる藤原さんに悦子が言います。
「私も、いまだに、中村さんのことを考えますもの」
「それを言っちゃいけないわ」って藤原さんが言うんやけど、
「私と中村さんの場合はなにもなかったんですから、つまり、まだ何も決まっていなかったんです」って悦子が言うの。
これは、悦子には中村さんという恋人がいて原爆で亡くなった、という意味ですよね。
藤原さんに、「子どもさえ生まれれば、あなたは絶対幸せになるわ」と言われて、そうなりたいと応えるんやけど。
この時、被爆した自分を緒方さんが引き取ってくれた、と悦子が藤原さんに話します。
だからご主人(二郎)と出会えたね、という藤原さん。
「あなただって、一時は立ち上がれないほどだったわ」と。
それを、映画では、駅のベンチで、悦子の口から言いました。
「あんとき、悦子さんが結婚に前向きなのかどうか、わたしにはさっぱりわからんかった」という緒方さんに、
「あんときと今は違います。あんときは一人で立っとられんかったとです」って言うんですね。
「今とは違う」という言葉がひっかります。強い言葉ですよね。
「だから、緒方さんも変わらんば。私たちも変わるとです」
この時点で、具体的にどう変わるか悦子にもまだわかってなかったかもやけど、稲佐山で佐知子と交わした「女はもっと目覚めなきゃ」という言葉に励まされて、子どもを言い訳にせず生きていこうと思ってるんですよね。
とはいえ、数年のうちに藤原さんのうどん屋で働いたり(フラッシュバックで描かれてます)、通訳のような仕事をして(これもフラッシュバックで)ニキの父親と出会い、イギリスに渡ってるので、二郎との離別は、この後すぐなのかも知れません。
(二郎目線で思ってしまいますが~~苦笑)
原作では、娘の景子との7年、という語りがあるけど、映画では、ニキが手にした写真の裏書に、「景子5歳」と書かれてたから(ニキが生まれたときの写真)、もっと早くにイギリスに渡ってるようですね。
映画では、悦子が被爆したことを二郎は知らずに結婚した感じです。
緒方さんも言ってなかったのかな。長崎の人みんなが傷ついてお互いに支え合っていた時代やから、被爆したことをあえて言わずともわかり合ってると思ってたんやろか。
「立っとられんやった」くらい弱っていた悦子に、南方から帰還した二郎との結婚をすすめたのは緒方さんみたいやけど、二郎に対して、万歳三唱で戦地に送り出した父としての負い目を感じていたからでしょうね。
そして、「立っとられんやった」悦子は、緒方さんの息子なら良いか~って、安易に?結婚を決めたのかも知れない。
原作では二郎と性格の不一致?で離婚したような悦子の語りですが、映画ではぼんやり理由を示唆してます。
「母親らしく振る舞うって何? 今までしてきたいろいろなことを諦めろと? 私は子どもを言い訳にしたりはせんけん」という台詞は、子どもを言い訳に、今までやってきたことをあきらめません、てことやし。つまり、やりたいことをやらせてもらいますよ、ってことやんね。
そして多分、二郎に、被爆したことを告げるでしょう。
「放射能は子どもにも影響があるっていうけん」という二郎の台詞にもあるように、彼は、悦子が被爆者なら結婚しなかったのかも知れない。
子どもの幸せを考えると、そういう二郎とは暮せない、って思いますよね。
そのへんは明確に描かれてはいないので、あくまで想像やけど。
二郎は亡くなったという説もあるので(洸平くんが某誌のインタビューで話してたけど)二郎がその後どうしたのかは、不確かなんですけどね。
あくまで、女性たちの物語なので、男性パートはサブです。
悦子と佐知子、そして30年後の悦子と娘のニキ。
原爆、戦争の影響は明らかにあるけど、女たちには、希望もあるんだということを描いてますもんね。
ゆえに、二郎がどうなったのか、緒方さんがどうなったのか・・・気がかりです。
ほんとに。
長くなりました。
もう一回ぐらい、書くかも~~